Zitat mit 2 Anmerkungen
エルンスト・ユンガーの『Feuer und Blut.Ein kleiner Ausschnitt aus einer grossen Schlacht』(1925)の最初の方の攻撃に入る場面を試しに訳してみた。この『火と血。大会戦の一小断片』は、『In Stahlgewittrn (鋼鉄の嵐の中で)』のラストの方の1918年3月の西部戦線におけるドイツ軍最後の大反攻(ルーデンドルフ攻勢)の体験を描いた「大会戦」章の細部拡大ともいえる。ルーデンドルフ攻勢または三月攻勢は、ロシアとの間のブレスト・リトフスク講和により、東部戦線の部隊をすべて西部戦線に回し、ドイツ軍が行った乾坤一擲、最後の大反攻。
突然、激しい衝撃が、よりかかっている塹壕の壁を通して我々を襲った。目を上げると私がいる防弾壁の掩蔽部の上方に煙の柱が高く上り、その上を土砂と瓦礫が舞い上がっている。今度はやられる番だ。正気に帰った敵が遠距離砲撃をしかけてきたに違いない。すでに白い爆煙が鉄条網の真ん中に立ち上がっていた。自分が敵の照準点にぴたりとはまっているのではないかという思いが走る。
私は壕内を漠然と歩きまわる。一度、大隊長とすれ違ったが、上の空で通りで出会った友人に気づかないように通り過ぎた。ところがしばらくして後戻りすると彼の副官がとんできて私の耳元で叫んだ。
「フォン・ゾーレマッハー少尉はどこだ。大隊の指揮は彼とるんだ。大尉がやられた!」
やられた? そんな馬鹿な。今し方すれ違ったばかりではないか。私は驚く能力を失っていた。事態は自明な夢のようだ。
まだ残っている現実といえば、私の腕時計の小さな針の動きだけだ。化け物が現れようが世界が滅びようが、もはや私を驚かせるものはない。銃声や砲声ももう耳には届かない。聴覚の限界を越えてしまったのだ。知覚も同じように個々の現実を確認し得る点を越えてしまっていた。感情も酩酊の飽和状態に至り、人間の尺度をはみ出してしまっていた。勇気、同情、不安などといったものはまったく存在しない。あるのは、ただ力の回転する機構だけであり、風景も人間も別の安全地帯に入ったかのように、その中に巻き込まれていた。9時40分にこの機構は一つの新たな法則にかなったものになる。この時点こそ、この途方もない事業にあってドイツの意志が国境のダムをせき止めている生の大洪水の中枢なのだ。その時まで、砲火が意志を表現し、その後は血がそれに代わる。
しばらく前から私は、工兵や中隊の者がうずくまっている小さな穴のそばに立っていた。水平弾道砲がまわりで盛んに激怒を撒散らしている。その間にも敵の砲火で3人の部下が倒れた。さらに後方の重迫撃砲の砲手ももろともふっとび、シュミットヒェンも一発の不発弾にやられてしまった。この不発弾は天井の分厚い壁をぶち抜き、昨夜、我々が一緒にいた地下通路にまで達していたのだった。ひっきりなしに次から次へと誰かが駆け寄り、大声で報告をしていくのだが、意識はそれを理解しながらも、すぐさま忘れてしまう。
時計の針はそれでも休むことなく進んでいく。すでに将校斥候が壕を出、たれこめる煙の中に呑まれていった。彼らは漏斗孔の多い戦場で最終隊形を確認する任を帯びていた。伝令が地下通路を離れ、壕には兵が群がり、それぞれの部隊に集結し始めている。私の中隊の生き残りも出撃用階段の周りに集まってきた。シュプレンガーは私の横におり、しばらく見かけなかったフィンケも現れ、私に笑いかけた。古参のハラーも間際になってやって来たし、あのけなげな甘ったれ坊やも二つの弾薬箱を手放すことなく連絡壕から姿を現した。
私は鉄兜を軽い戦闘帽にとりかえた。もう安全などということは問題外だ。ケースから拳銃を取り出し、弾を装填する。その跳ねるような金属の動きと銃床の手触りは快い。兵のどよめきの中で入り乱れた怒号が一段と高まるのが聞こえてくる。落ち着け、もう引き返せないのだ! 秒針、この鋼鉄の海の中で、この最小の一片の鉄が最後の一周を始めた。
我々は出撃用の階段を上がった。濃い靄を通して見る限りでは、向こうにも、我々と同じ動きをしている灰色の武装した大部隊がいるようだ。
ゆっくりと濡れた大地を力強く踏みしめながら我々は寸断された鉄条網を越え、たちのぼる煙にけぶっている地へ入っていった。早くも将校斥候の集団が最初の負傷者を運んでくる。
我々は両軍の緩衝地帯に入った。頭上には高い弧を描いて飛ぶ味方の砲弾の巨大なドームが広がっている。高い塔のような飛び散った塵埃の幕が前方の眺望を遮っていたが、接近するにつれ漂う靄ごしに前方が視界に入ってきた。降りかかる塵の下を小さな蟻のように進み、突撃待機地点まで来た時、将校斥候の姿を見つけた。すぐさま彼らは漏斗孔に色分けした信号布を掲げた。これで進路は確実だ。我々は立ち上がり左右を見た。間近は言うに及ばず、煙幕にかすむ遠方にも攻撃部隊が集結していた。すべての部隊が巨大な突撃隊となり、その時を待っていた。未だ嘗て戦場でこれほどの大部隊を見た者はいまい。緊張の頂点で一体となるまで鍛えられ、もはやその緊張に耐えきれずに解き放たれた我々ドイツ軍の勝利は当然のように思われた。それを目撃するには、ただ前進すればいいのだ。そこではそれぞれの生命のあらゆる熱が、抗いがたい力の流れにそって行動せんとしているのである。
間近で短距離迫撃砲が炸裂した。重量感のある鉄塊の落下がはっきり見える。数秒間の静寂に続いて火山の爆発のように高々と長円錐型に噴き上がり、舞い上がった土塊、断片、木片などが次々と降りかかって鉄兜に跳ね返り、身体を掠めていく。しかし誰も漏斗孔に身を伏せようとはしない。全員が漏斗孔から出て、互いに笑い、指や手で合図をしあっている。その有様はもはや正気の沙汰ではなかった。誰もがもう何も考えていない。一切の行為は、ある別の思考により外から規定されていた。誰も命令せず、誰もそれを聞き入れたりしない。伝令と一緒にいる新任の大隊長のフォン・ゾーレマッハー少尉の姿が見えた。外套の襟を立て、陶器の派手な色の灰皿のついたパイプを手にしている。フィンケもいる。私の水筒を手にして合図を送っている。私は水筒を手にとり、中のコニャックを水のように喉に流し込んだ。とたんに周りの風景が回り出し、何もかもが赤と黄に染まり始めた。もうすぐ全軍突撃の時だ。たとえそれが死の渦への突入であろうと突き進まなければならない。
その時、突如として噴き上がる砲火の壁が崩れ、黒い塵の旋風が巻き起こった。火の固まりとなった大量の砲弾が周りの地形をえぐっていた。いよいよ出番だ! 命令も応答もないまま灰色の軍服姿が地面から現れ、小さな突撃集団へと分かれていった。
傍らには中隊の志願兵と、かたときも私の傍を離れずに付き従ってくるフィンケがいる。
我々は、ゆっくり前進した。しかし足は自然に前へ前へとせかされ、深い斜面や盛り上がった土砂の山を越えていく。急げ、急ぐのだ。一刻も早く敵に目にもみせてやるのだ。敵の頑強な防衛線を突破し、そこに死神を送り込むのだ。私は右手に拳銃の握りを、左手には木の杖を持っていた。血が顔面にのぼり、歯を噛みしめた頬をとめどもなく涙が伝わった。目は周りを伺って狙いを定め、跳びかかる寸前の猛獣のように身体は前屈みになり、いよいよ早足で進んでいく。
九.ダンディ 金持ちで、暇があり、あたとえ飽いて無感覚になってしまっていても、幸福の跡をつけて追う他に 仕事のない男、贅沢の中に育てられて、青少年期からすでに他の人間たちの服従に慣れた男、つまる ところは、優雅の他には職業をもたない男、こうした男は常に、どんな時代にあっても、際立った、 まったく別物の風貌をそなえていることだろう。ダンディスアルキビアデスがその赫々たる例を提供 してくれているのだから、きわめて古い制度だ。シャトーブリアンが<新世界>の森の中や湖畔で発見 している位だから、きわめて一般的な制度だ。ダンディスムは、法の外の制度でありつつ、自ら厳しい 法をもち、その権威に服する以上誰しも、他方いかに血の気の多く独立不羈の性格をもつ者であろうと、 厳格な服従が要求される。 英国の小説家たちは、他国の小説家たちにもまして、high lifeの小説を手がけてきたし、 フランスの作家でも、ド・キュスティーヌ氏のように、別して恋愛小説を書こうと思った人々は、まず まずその登場人物に、どんなことを思いついても躊躇なく費用を出せるだけの巨大な財産をもたせる よう配慮したのだが、これはいたって当を得たことだ。次にこれらの登場人物たちに、一切の職業を 免除してやった。これらの者たちは、自らの身の裡に美の理念を培養し、自らの情熱に満足をあたえ、 感じ、そして考えることの他には、なんの本業をももたない。かくして彼らは、思いのままにまた きわめて多量に、時間とお金をもっているのだが、それなしには、せっかくの思いつきも一時かぎりの 夢想に終って、行動に移されることはほとんどあり得ない。暇とお金なくしては、色恋の沙汰も、下民 の痴れごとあるいは婚姻の履行でしかあり得ないことは、不幸にしてまったくの真実である。熾烈な あるいは夢想的な気まぐれとなる代りに、色恋は嫌悪すべき有用のわざとなってしまう。 (略) ダンディの美の性格は、何よりも、心を動かされまいとする揺ぎない決意から来る、冷やか様子の 裡にある。潜んだ火の、輝くこともできるのに輝こうとはせずにいるのが、外からそれと洞見される まま、とでも言おうか。それこそが、これらの画像の中に、完全に表現されているものなのだ。
ニ.ロマン主義とは何か? 今日この語に現実的な意味を与えたいと思う人はあまりいないだろう。だからといって、 ある一世代が、何かの象徴でもないような旗じるしのために何年にもわたる戦闘を交える ことに同意したりするものだなどと、敢て断言する人々がいるだろうか? 近年の混乱を思い出していただきたい、そうすれば、ロマン主義者というものが今日あまり 残っていないのは、彼らの中でロマン主義を見出した者がほとんどいなかったからだという ことが分かるだろう。ところが彼らはみな、誠実かつ実直にロマン主義を捜し求めたのだ。 (略) ロマン主義とはまさしく主題の選択の裡にあるのでもなければ、正確な真実の裡にあるの でもなくて、感じ方の裡にあるのだ。 彼らはロマン主義を外部に捜し求めたが、それを見出すことが可能であったのはただ内部 においてのみなのだ。 私にとってロマン主義とは、美の最も新しい、最も現実的な表現である。 幸福を求める習慣的なやり方がいく通りもあるのと同じ数だけの美というものがある。 (略)
シャルル・ボードレールの詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「アホウドリ」 L'Albatros (壺齋散人訳)
アホウドリ海の男たちは時折 気晴らしのために
巨大な海鳥 アホウドリをつかまえる
航海の怠惰な同伴者
すべりゆく船を追いかける怪鳥甲板の上に置かれるや
海原の王者の何と不器用で情けないことよ
悲壮にも引きずった白く巨大な羽は
まるで二本の櫂のようだこの大空を飛ぶ者の 何と無様で弱々しいことよ
堂々たる海の王者も 何と間抜けにみえることよ
陶器のパイプで嘴をつつかれたり
ばたばたとさせながら 飛べないさまを真似される詩人たちもこの空の王者にどこか似ている
嵐をものにせす 飛んでくる矢を笑っているが
ひとたび地上に舞い降りるや
大きな羽が邪魔をして 歩くこともできないのだ「アホウドリ」は再版では、「祝福」に続いて二番目に載せられているが、初版には載っていない。初めて発表されたのは1859年、オンフルールで印刷した小冊子の中でだったが、その際には第3節が欠けていた。友人シャルル・アスリノーの教唆によって、現在のような形に書きなおしたらしい。原型は20台のはじめ、ブルボン島からフランスに戻る船の中で書いたもののようだ。
アホウドリは今では絶滅寸前にまで減ってしまったが、ボードレールの時代には、航海にはつきものの鳥だった。詩にあるとおり大きな鳥で、海の王者ともいうべきだが、一旦陸にあがると、大きな羽をもてあまして、無様な格好で歩く。(白鳥にも似たところがある)そのさまが、詩人に似ているといって、ボードレールは両者をともに笑い飛ばしているのである。
ボードレールはあるいは、アホウドリの姿に、自分自身を見たのかもしれない。
L'Albatros — Charles BaudelaireSouvent, pour s'amuser, les hommes d'équipage
Prennent des albatros, vastes oiseaux des mers,
Qui suivent, indolents compagnons de voyage,
Le navire glissant sur les gouffres amers.À peine les ont-ils déposés sur les planches,
Que ces rois de l'azur, maladroits et honteux,
Laissent piteusement leurs grandes ailes blanches
Comme des avirons traîner à côté d'eux.Ce voyageur ailé, comme il est gauche et veule!
Lui, naguère si beau, qu'il est comique et laid!
L'un agace son bec avec un brûle-gueule,
L'autre mime, en boitant, l'infirme qui volait!Le Poète est semblable au prince des nuées
Qui hante la tempête et se rit de l'archer;
Exilé sur le sol au milieu des huées,
Ses ailes de géant l'empêchent de marcher.
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